聞かなきゃよかった名前の由来⑥

crush昭和49年、横須賀に引越しして間もなく事件が起きた・・・


『11月、大量の石油関連物質を積んだ 『第十 雄洋丸』 が東京湾で貨物船と衝突したのだ。衝突によって第十雄洋丸はリザーブタンク後方付近の外板に大破口を生じ、可燃性の強い液体であるナフサは衝突時の衝撃と火花によって簡単に引火し、一瞬にして大爆発を起こすととともに長大な火柱が立ち上り、ナフサを含んだ炎を浴びた貨物船も船全体が猛火に包まれ、船上だけではなく船内までも灼熱地獄と化した。人的被害は第十雄洋丸側が死者5人で生存者は34名(うち、熱傷7名)、パシフィック・アレスは死者28人で生存者はわずかに一名という大惨事であった。』

『燃えながら漂流し始めた雄洋丸はなんと私の住む横須賀までわずか1.8kmと大接近、タグボートでの必死の作業で漂流を止めた。しかし延々と燃え続ける雄洋丸、最後の手段として太平洋上まで持って行き、海上自衛隊を出動させ多くのミサイル、魚雷により沈没させた。なんと沈めたのは衝突から20日後のことだった。』


父がこの話をしてくれて言った言葉が、『こんな大惨事があって、当時はこの名前で大丈夫なのか心配したよ』と。

詳しい事件簿はhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nachi/zakki/yuyo/yuyo_10.htmlにて。


2つの雄洋が同じ年に横須賀に来ただけでも恐ろしい偶然だったのに、偶然はこれだけでは終わらなかった・・・さらに驚きの事実を発見してしまった・・・父もこれは知らなかった


つづく

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